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我が友 松本真一氏へ 貴殿に幸多き事を願わん。 ドイツアフリカ軍団軍令書 ケッセリング元帥署名
さて私が音楽活動に終始符を打ちカナダに移住しそこで出会ったのがZITTIER氏でした。
私とは親子程、年齢が違うZITTIER氏でしたが、ある日ZITTIER氏の邸宅にてドイツ語にて書かれている
記事を不思議そうに眺めている私に彼は言われたのでした。
この飛行機が分かりますか?私は直ぐにこれは夜間戦闘爆撃機MEではと問い返したのです。ZITTER氏はその通りです。私はケッセルリンク将軍の指揮下,
アフリカで戦っていたと言うのです。
私はこの時得も知れず驚愕したのを今でも覚えています。こちらにはドイツ系カナダ人は大変多いのですが,まさかドイツ人として第二次大戦を戦った人物がいるとは思いませんでした。
ZITTIER氏は1940年にドイツ空軍に入隊されて以来
戦場を駆け抜け生き残り今ここカナダにて生活されているのでした。
ZITTIER氏はやはり戦争での思いからかあまり詳しくは自分の経歴を公言する事はありませんでしたが、
私が日本人である事からも現カナダ政府が第二次大戦時中に日系カナダ移民に対して行った非道がまだ解決されていない状態で有る事や、ドイツ人であるがゆえでのこの国での生きずらさ等を、お話しくだされました。
大戦中における氏の心構えなども私にお話し下されその主旨等、若輩である私には本当にありがたい教訓 に思え毎日を生と死の中に活を見い出し生きたZITTIER氏に敬服せざるを得ません。
ZITTIER氏の人柄は雄大にして温厚 繊細で有り信念の元に時代を生きた人物で有りました。
また良く日本人の勤勉さを理解し日本が大戦中にドイツと共に戦い抜いた事を誇りに思って
おられる人物で有りました。
私がドイツのジェット戦闘機が日本にて橘花や秋水として試作され大戦中にはその量産は及ばずとも
試作機があったと言う事を話した時、氏の目頭には熱い物が流れるのでした、、、、、
氏の人生訓は事においては急ぐ事無く全ては時がその真価を貴方に伝えるであろう、己の本分とする事を全とうせよと言う事で有りました。
この事を元に自分は今まで生きる事が出来たので有ると言われました。
残念な事では有りますが第二次大戦を生き抜いたZITTIER氏は今年の冬にお亡くなりになりました。
氏の冥福を祈ると共に我が心の師を失った重さを感じる次第です。
師の言葉は何よりも重く戦争と言う人間が極限状態に置かれる状況にあって孤立しても自分を失わず生きる事を全とうされた一軍人として又人間としての生き様を感じ得ない
訳には行きません。この貴重な出会いを大切にして行きたいと思います。
HELMUT F. ZITTIERドイツ空軍少尉
略歴
1940年 ルフト ワッフェ入隊 ロンメルズ アフリカ軍団従軍
終戦までME-262ジェット戦闘機を含み33種類の戦闘機に搭乗し戦闘。
5回撃墜されるがかすり傷一つ負う事無く無事に生還 アフリカで主にアメリカ
軍B-17 爆撃機を相手に迎撃戦を敢行した功により大ドイツ鉄十字章受賞(IRON CROSS)。
公開写真の無断複製転用は固く禁じます。故ZITTIER氏の威厳 名誉を損なう事の無い様お願い致します。公開写真 軍令書共に歴史的遺産として閲覧して頂き僅か数十年前にこの様な惨禍 が人類史上に起こり得た事を考えるきっかけになれば と思います。
我が心の師 親愛なるHELMUT F. ZITTIER ドイツ第三帝国空軍少尉殿へ 氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。